『蒼黒戦争』は終わった。

しかし、人類にとってはむしろここからが本番と言っても良かった。

戦後の復興と言う大仕事と言う名の・・・

終章 起『戦後』

終戦後、まず行われたのは世界各地にかろうじて避難していた、欧州各国の避難民の帰国だった。

幸いともいうべきか道路や鉄道空港と言ったライフラインは『六王権』軍はほとんど破壊しておらず、帰国作業は予想よりもはるかに速い速度で推移していった。

むしろ国連や米軍が戦争初期に敢行した無差別爆撃による被害の方が大きかったほどだ。

しかし、生存者数は圧倒的に少なく戦前の国家構成を維持するのは不可能だと誰の眼からも明らかだった。

そこで戦時中かろうじて国家の体制を保っていたイギリス政府が国連の後押しを受けてEU=『欧州連邦』の建国を提案、自国民だけでは自国の再建は無理と踏み、各国もこぞってこの提案に賛同、欧州の悲願であった統合は数億とも十数億とも言われる人々の血と命を引き換えに遂に成し遂げられることになった。

だが、欧州が表向き一つとなっても尚欧州の復興にはいくつもの障害と十年単位の時間が必要になるが、それは別の話である。









『蒼黒戦争』が一体どの時期まで続いたのか?

終戦を迎えて半世紀ほど経つ現在でもその議論に決着は着いていない。

開戦時期はワールドカップの惨劇に由来する2006年六月だと言うのはすべて一致している。

しかし、終戦時期となるとさまざまな要因が絡み全く異なる時期が出てくるのだ。

当初もっとも有力とされていたのは2006年六月から同年十二月の約半年の期間。

しかし、後になればなるほど、様々な説が乱立しそれも淘汰され議論が複雑化してしまった。

そして現在では最有力として三つの説が唱えられている。

一つは先程も申し上げた2006年六月から十二月の半年説。

二つ目は2006年六月から2016年六月の十年説。

最後は2006年六月から現在まで未だ『蒼黒戦争』が続いていると言う継続説。

その根拠も三つとも説得力に富み、一つ目は直接の『六王権』軍との直接の戦闘が終結の時期を。

二つ目はこの時期にようやく欧州の復興と混沌が続いていた北米の情勢が戦前とは程遠いにしろようやく安定化の兆しを見せたが為に。

三つ目は現在においても尚『蒼黒戦争』による影響と思われる宗教、人種、民族闘争が未だに世界中で争いの火種をまき散らし世界は安定とは程遠い状況に置かれているが為である。

おそらくこの議論は永久に続くのではないか。

そう思わせるほど三つの説には説得力があった事だけは確かである。









ではここで若干早足となるが『蒼黒戦争』終戦後の世界の情勢を語っていこうと思う。

まずは欧州、国連の後押しを受けたイギリス政府が各国の亡命政権を半ば吸収合併するように『欧州連邦』建国が決定したことは既に述べた。

しかし、決定したのはあくまでも連邦建国のみで細部を詰める段階になり各国共に連邦建国後においての主導権を巡って露骨かつ醜い争いが始まった。

これによって連邦建国は年単位で遅れる事になったのは後世において周知の事実であり、それにより欧州復興は更に困難を増す事になるのだが・・・これは自業自得と呼ぶべき事実であるに過ぎない。









次にオーストラリアに本部を移した国連のその後は・・・

ここも欧州ほどではないが、その権威の低下は否めず、その後世界で頻発する戦争、騒乱にもほとんど無力で調停もする事は出来ずその結果国連の権威は更に下落、それに伴い国連から脱退する国が続出。

結局、欧州連邦設立が国連最後の大仕事となり、『蒼黒戦争』終戦から五年後、国連は解消。

それから新たな国際機関の発足まで長い時間を必要となる事になった。









では『蒼黒戦争』開戦前までは世界の覇者として君臨していたアメリカはどうか?

こちらはある意味では欧州よりも悲惨な現状になっていた。

戦争終戦直前において、『六王権』軍の情報操作によるものと思われる混乱によって全世界で人種、宗教の対立が武力衝突にまで発展したが、アメリカではその傾向が顕著だった。

あらゆる場所でいざこざから銃撃戦に発展し、惨劇、悲劇、喜劇をあちこちにまき散らした。

しかし、アメリカ政府も無能ではなかった。

大反攻作戦『モンゴル』から最低限の戦力以外は撤退させ、世界各地に駐留させていた戦力をも残らずかき集めて治安回復に努めた結果、『蒼黒戦争』終戦直後には大半の暴徒の鎮圧に成功、国内の治安を一定水準にまで回復させる事に成功した。

しかし、後に『アメリカ大暴動』と呼ばれるこの事態はアメリカ国民に深い傷を残した。

すなわち、人種と宗教間に象どころかシロナガスクジラが横たわっても尚、隙間が出来るほどの溝と衛星軌道にまで高くそびえる壁を作り上げた。

その対立はもはやアメリカ合衆国の国是である『自由・正義・平等』を無視しえる程大きくなり、ついにアメリカ合衆国は最悪の事態を迎える事になる。

『蒼黒戦争』終戦から半年後、約二百四十年前に勃発したアメリカ合衆国最大の内戦『南北戦争』にてアメリカ連合国を建国したサウスカロライナ、ミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、テキサス、バージニア、アーカンソー、テネシー、ノースカロライナの十一州が合衆国より離脱、白人優越主義と有色人種の奴隷制復活を掲げたアメリカ共和国を建国、それに続く様に一月後、西部ではワシントン、オレゴン、カリフォルニア、アリゾナ、ネヴァダ、アイダホ、モンタナ、ワイオミング、ユタ、コロラド、ニューメキシコの十一州がやはり合衆国より離脱、こちらはキリスト教原理主義と他宗教排斥を国是としたアメリカ教国を建国。

アメリカ合衆国は三つに分断され、アラスカ州はこのどさくさに紛れてカナダと併合、ハワイは独立を宣言する事になった。

その後、十年近くアメリカ合衆国、アメリカ共和国、アメリカ教国は小競り合いから全面戦争までその国境で戦火が途絶える時は無く、2016年国力の疲弊を危惧した三国の間でようやく停戦条約が結ばれる事になった。

それから三国は時には手を結び、時には敵対し、暇つぶしをするかのように、戦火を起こし続け、奇しくもアメリカ建国の父と同じ苗字を持つ人物により再統一、アメリカ合衆国が再建されるまで百年近い時を必要とする事になる。









後に『アメリカ三国志』と俗に呼ばれるアメリカ三国の対立と紛争を影に日向にあおっていたのは中南米の諸国であった。

彼らからしてみれば過去アメリカの論理に散々振り回され続けたことに対する報復であり、三国が争うたびに調停者として介入し、アメリカ三国に無視する事の出来ない影響力を構築していく。

しかし、そんな彼らも一枚岩であるかと言われれば否と言うべきだろう。

最大の敵であるアメリカが分断され、それにより凋落の一途を歩むに従い、アメリカ大陸の覇権が転がり込んで来る可能性が出て来た途端、それを求め、旧親米派と旧反米派との間の対立が鮮明化してきた。

これは後に『南米戦争』、更には『第二次南北戦争』の起因となるのだがここでは省略する。









ではもう一つの主戦場となったアフリカ、中東はどうであろうか?

『蒼黒戦争』時、最悪で北アフリカ全土が『六王権』軍に蹂躙され、北アフリカ諸国のほとんどが壊滅、ひどい国では全滅も同然の被害を受け、北アフリカ諸国はもはや国として体裁を成さない状態にあった。

しかも北アフリカの混乱はさらなる戦乱をも呼び込んだ。アフリカ最南端の南アフリカ共和国が『蒼黒戦争』終戦に前後して突如軍を北上、同時にアフリカ各国に宣戦布告および、『アフリカの混乱を止める為アフリカ大陸を統一する』と声明を発表、世に言う、『アフリカ戦争』が勃発した。

突然の侵攻に何も備えをしていなかった、隣接のナミビア、ボツワナ、スワジランドの三国が占領、併呑され、この事態に残りの中央アフリカ諸国は連合軍を結成、南アフリカ共和国軍と全面戦争に突入。

この戦争は一進一退を続け、実に四年の年月を費やし、ようやく停戦条約の締結とアフリカ連合が発足される。

しかし、この戦争で過去欧米の過剰な搾取で疲弊したアフリカ大陸をさらなる疲弊に追い込み、アフリカ連合は苦境崖っぷちから始まる事になる。

そして中東圏はと言えばこちらも各地に負けず劣らぬ混沌を見せていた。

『蒼黒戦争』末期に起こったイスラム過激派の騒乱は終戦を迎えても尚、いや、訂正しよう。

更に過激な動きを見せていた。

欧米が疲弊している今こそ好機とばかりに過激派の一部は欧米への侵攻を伺おうとするが、それを止めようとする穏健派との対立と紛争に発展。

ここでも戦火は容赦なく大地を焼き払おうとしていた。

又インドで勃発したパキスタン戦とイスラム、ヒンズーの紛争は終息の気配を見せる事も無く、戦火は更に拡大、戦火が憎悪や悲しみを生み出し、それが更なる戦禍を生み出す悪循環を生み出していた。

結局中東圏の安定には十年以上の月日を必要とする事になった。









一方、ロシア、そしてアジアはどうだろうか?

ロシアは本来であれば終戦のどさくさに紛れて、旧ソ連崩壊時に独立を果たした旧衛星国の併呑を目論んでもおかしくなかったのだが、『蒼黒戦争』終戦時、ロシアに外に目を向ける余裕は皆無と言って良かった。

何しろ、自国領を『六王権』軍にほぼ半分制圧され、それによる死者はロシア国内全人口の四割に届く。

インフラやライフラインが欧州同様、ほぼ無傷なのが唯一の救いなのだが、戦後の復興は欧州以上に至上命題であると言えた。

一方、アジアは中央アジア各国を中心に民主化と独裁政治打倒を叫ぶ民衆と治安と権力維持を目的とする政府軍の戦闘は未だに終わる気配を見せない。

特に長年一党独裁体制を続けてきた中国では暴動の枠を超えて内乱にまで発展、こちらも国外に眼を向ける余裕などなかった。

その他のアジア諸国も同様で特に中国と国境を接し、密接な関係を続ける北朝鮮はと言えば内乱に発展した中国国内を避けて北朝鮮に難民として入り込む中国貧民層の受け入れに四苦八苦していた。

何しろ北朝鮮には食料の備蓄は近年の水害などによって極めて乏しく、核をちらつかせる事で支援を得る瀬戸際外交を何度も行ってきた。

しかし、今の世界情勢を見ればわかるがどの国も自国の事で精一杯で、とてもではないが余所にまで目を向ける余裕はなくなっていた。

その為何としてでも支援を得ようと、どれだけミサイル発射などで揺さぶりをかけても交渉のテーブルに着こうと言う声など出る筈もなく、逆に隣国韓国と日本の警戒を更に高める結果にしかならなかった。

おまけにミサイル発射もただで行えるはずもなく、本来であれば食料を買えるはずの金を次々とどぶに投げ捨て、それによって難民や自国民を更に飢えさせる悪循環を生み出していく。

遂にはこのまま餓死する位ならと自暴自棄となった民衆が北朝鮮全土で暴動を引き起こす。

当然暴動鎮圧の為に軍隊も動員されるが、絶対的な数があまりにも違い過ぎた。

更に瀬戸際外交の連発で軍ですら燃料の欠乏をきたす有様。

暴徒は次々と軍隊を呑み込みその武装を奪ってさらに強化され、ついに北朝鮮首都平壌に雪崩を打って攻め込み、平壌は略奪と殺戮と暴行一色に染まりこの世の地獄と化した。

更に血と食料を求める暴徒は南下、北緯三十八度線を越えて韓国に侵攻、後の『第二次朝鮮戦争』にまで発展した。

結局この戦争は丸二年続き、最終的には韓国軍は暴徒を全て鎮圧した上で北朝鮮全土を占領、朝鮮半島はこうして皮肉な形で半世紀以上の年月を費やし統一されたのだった。

しかし、それは同時に旧北朝鮮と旧韓国との間に生じている生活レベルの格差をいやでも見せつけ、それの不満が新生韓国改め朝鮮民主共和国の長い内政問題として横たわる事になる。

そして日本はどうであるかと言えば『蒼黒戦争』終戦から三年後、朝鮮軍の突然の領海侵犯と対馬侵攻未遂事件に端を発した改憲論争が全国民レベルで実施、結局国民投票にまでもつれ込んだ改憲論争は国内の根強い反対を押し切って遂に日本国憲法の改定を決定する結果となった。

随所に二十一世紀に合わせた内容に変更、改憲に関して護憲派、改憲派共に最も重要視していた第九条に関しては戦争の放棄は破棄し、代わりに侵略戦争の放棄と書き直し、領土・領海を侵そうとする侵略には断固とした防衛戦争の実施、すなわち自衛権の行使を声高らかに宣言した。

それを証明するようにこの直後、最初の成功に味を占めた朝鮮軍の領海侵犯には海上自衛隊から海軍に名称を変更した日本軍と朝鮮軍との間に断固とした交戦を開始。

完全に見下していた朝鮮軍はこの奇襲に強かな痛撃を受けて撤退。

この余勢を借りて、太平洋戦争敗戦から不当に占領を続けられていた竹島、尖閣諸島、更に北方四島を奪還、正式に日本領として国際社会に宣言した。

しかし、これによって日本は中国、朝鮮、ロシアとの間に深刻な対立を生む事になり、その後、長い熾烈な外交闘争を展開する事になる。









こうして『蒼黒戦争』の影響を受けて世界は大きく変貌を遂げていく。

そしてその変貌は何も表の世界だけではなく、『魔術協会』、『聖堂教会』でも変貌のうねりは容赦なく襲い掛かろうとしていた。

まずそのうねりをまともに受けたのは『魔術協会』だった。

何しろこの戦争中協会は人類側のお荷物としての評価が確立されている状態だった。

開戦前は『六王権』捜索の手を目先の利益の為におざなりにし、開戦後も一部、前線部隊の奮戦を尻目に本拠地を次から次へと変更し右往左往の印象を強く残した。

だが、それよりも大きく協会の評価をさげたのは前線に出て来た自称エリート魔術師達の存在だった。

さして功績を上げた訳でも何にもかかわらず、誰よりも尊大に威張り散らし、周囲のフリーランスや国連軍を見下し、自分達が王侯貴族にでもなったかのようにふるまう。

その癖、いざ戦闘では個々人としてはそこそこ戦力になるのだが、集団戦では勝手に動き回り味方の脚を引っ張る始末。

この不手際の数々は終戦後、ウェイバーの予測通り、あらゆる方面から非難を受ける事になった。

この批判非難の数々に当初はのらりくらりとかわす事に専念していた協会上層部も次第に旗色が悪くなり、遂には上層部のそう挿げ替えにまで発展した。

そうなれば次に問題となるのは次の院長である。

当初、周囲の反発を軽視していた協会としては後任等選んでいる筈はなく、右往左往していたが程なく後任にバルトメロイ・ローレライを当てる事で決定した。

家の格も魔術師の中でも名門中の名門、更に彼女自身も『クロンの大隊』を率いて常に前線に立ち続け外の評価もすこぶる高い。

実際『バルトメロイならば』と教会なども納得の姿勢を見せていた。

しかし、ここで当のバルトメロイがそれを固辞、いや、露骨に拒否の姿勢を見せた事で丸く収まるかに思えた後任人事は再び波乱の様相を見せた。

断られるなど予想もしていなかった協会は大いに狼狽、バルトメロイの説得にあたる。

しかし、その返事はそっけないもので、『自分はまだ若輩、院長の座に就くにはまだまだ若すぎる、何より先日懐妊が確認された。次代のバルトメロイを無事に出産せねばならぬので院長の激務には耐えられない』と応ずるのみだった。

それでも今の協会を立て直せるのはバルトメロイしかいないと泣き付きようやく、ある条件を付ける事で院長ではないものの院長補佐として引き続き協会に尽力すると約束を取り付けた。

その条件とはロード・エルメロイU世=ベルベット・ウェイバーを院長に据える事その一点のみだった。

しかし、これには当初協会側からは反発の声が上がった。

確かに、ウェイバーも『蒼黒戦争』において最前線の一つロンドン魔道要塞の防衛司令官として開戦から終戦まで防衛の指揮を執り続けた。

その姿勢は協会に批判的な者達も好意的に見ていたし事実で教会等も『バルトメロイ、ロード・エルメロイU世の協力体制ならば文句の付けようもない』と支持する姿勢を見せていた。

ならばなぜ反発の声が上がるのか?

答えは簡単でウェイバー自身の魔術師としての格である。

名目上はベルベット家三代目魔術師であるが、初代、二代目共にさしたる魔道の研鑚を行わず受け継いだ為にその魔術回路の数、魔術刻印の質も同年代の魔術師から見ればお粗末な代物。

おまけに今はロード・エルメロイを名乗っているが元々はエルメロイの子弟の中でももっとも落ちこぼれだった魔術師見習い。

そんな格下がよりにもよって魔術協会院長の座に納まるなど到底容認できない。

そんな声も上がったが、結局、ウェイバーが常日頃から『もう会いたくない』とまで公言していた元教え子達、更に『クロンの大隊』の力を使い院長就任を強行した。

だが、反発の声にも配慮したのか就任演説で自身の就任期間を十五年と区切りをつけて、区切りがつき次第院長より辞任する旨を宣誓、ギアスまでかけてそれを約束した。

その後、ウェイバーはバルトメロイや新たに任命した上層部・・・ほとんどが彼の元教え子である・・・を手足の様に使い、自身もまさに東奔西走の活動を見せて、終戦時には失墜仕掛けていた魔術協会の権威の立て直しに成功。

きっかり十五年後、約束通り院長の座から辞任、院長の座をバルトメロイに譲り、自分は再び一講師の座に戻った。

跡を継いだバルトメロイは基本的には院長職に専念し、『クロンの大隊』に関しては自分の息子、バルトメロイ・ローランにその全権を委ねた。

母譲りの優れた魔術の才と実父のそれを彷彿とさせるような強き意思の篭った瞳を持ち、剣の投影に長けた(もっとも本人曰く『宝具の投影は不可能だし、父上には遠く及ばない』との事だが)新たなるバルトメロイは『クロンの大隊』を率い、未だ各地で跋扈する『六王権』軍残党の始末に奔走し後年、『バルトメロイの軍神』と呼ばれる程の協会きっての武闘派魔術師までに成長を遂げ、自身は終生『クロンの大隊』の指揮に専念し権力や権勢に興味を持つ事はなかった。









一方、聖堂教会はどうか。

こちらは本拠地バチカンを『六王権』軍の手で落とされ人材面でも少なからず被害を受けたが最大の被害を受けたのはやはり埋葬機関だろう。

『蒼黒戦争』において構成員八名の内、機関長ナルバレックを含めた五名が戦死、生き残ったのはエレイシア、メレム、そしてダウンだけだった。

ひとまずは臨時機関長の座にはエレイシアが就任し、埋葬機関の立て直しと次世代の代行者育成にメレム、ダウンと協力してそれに専念、戦争終結の十五年後には七夜にて成長を遂げたカール・ナナヤ・ナルバレックが機関長に就任、エレイシアを始めとする古参とエレイシアらが育成した若手を巧みに使いこなし、埋葬機関長と『裏七夜』頭目の兼任を見事にこなす。

又対外的にも排他的で単独行動が常であった埋葬機関のスタンスを大幅に改編、必要とあれば他国の対魔組織との協力体制をも容認する体制を作り上げた。

彼自身も実母以上に身軽に動き回り、『裏七夜』構成員であり自分の異母妹兼妻や、個人的に付き合いも深く、刎頸の友の契りまで結んでいる『クロンの大隊』隊長バルトメロイ・ローランとも協力し、『六王権』軍の大規模な残党軍を文字通り殲滅したルーマニアの戦いが殊に有名である。

こうして魔術協会、聖堂教会共に次世代の意思が確かに芽吹き、その先の未来に進もうとしていた。









一方、再建がままならぬ所もある。

この戦争で主だった人材の大半を失ったアトラス院はその代表例と言って良いだろう。

その損害によって一時アトラス院の閉鎖すら生き残った院長は思考したほどだ。

だが、世界に散らばっていた錬金術師やあの戦争を生き延びた生徒達が少しずつ集結し、更に『真なる死神』の妻となりアトラスから離脱していたシオンも古巣の存亡の危機を見過ごす事は出来ず、臨時講師としてアトラス院に復帰する事も決め、事実上魔術協会の傘下の立場になったが、それでもアトラス院はようやく再興の第一歩を歩む事になった。









こうして世界を破滅の一歩手前まで追い詰めた『蒼黒戦争』は世界の表、裏全てに大きすぎる影響を与えた。

国家レベルでもけた違いの影響を与えたその戦争が個々人に何も影響を与えなかった筈もない。

そう、事実上『蒼黒戦争』を終わらせた二人の英雄にも・・・

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